ペギー葉山の本名や経歴は?夫の根上淳ってどんな方?

歌手のペギー葉山さん、肺炎で死去されましたとの
ニュース、3月30にまでお仕事をしてたと報告
されていたので。

ニュースによると、12日午前11時55分都内の病院で
亡くなったとのこと。

ペギー葉山さんは、「南国土佐を後にして」で空前の
ヒットを記録した方ですが

ペギー葉山さんの本名は

又夫の根上淳ってどんな方って

言われる方も多いのではと。

少し調べてみました。

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ペギー葉山のプロフィールや経歴

ペギー葉山

出生名(本名):小鷹狩 繁子(こたかり しげこ)
生誕:1933年12月9日
出身地:東京都新宿区
死没:2017年4月12日(満83歳没)
学歴:青山学院女子高等部(現・青山学院高等部)
ジャンル:ジャズ、歌謡曲
職業:歌手、タレント
担当楽器:歌
活動期間:1952年ー2017年
レーベル:キングレコード
事務所:東和商会大田事務所

wikipediaより

東京四谷で生まれたペギー葉山さん
要所持から歌が好きでした。

そのためか、青山学院中等部在学中に
内田るり子に師事し声楽を習い、音大の進学を
志します。

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しかし、彼女はFEN放送から流れるアメリカのポピュラー
音楽に心を奪われていき。青山学院女子高等部2年生のとき
映画『我が道を往く』を観た際

劇中のビング・クロスビーが歌う「アイルランドの子守唄」に
感動、クラシックからポピュラー・ジャズに転向を決意します。

しばらくして友人の紹介で進駐軍のキャンプで歌うことになり
その素晴らしい歌声とセンスの良さが認められて

ティーブ・釜萢さんという、ジャズミュージシャンの口利きで
当時一流のビッグバンド渡辺弘とスターダスターズの三代目
専属歌手として活躍するようになります。

その後高校卒卒業後の翌年1952年11月にキングレコードから
「ドミノ/火の接吻」は発売、レコドデビューする。

その後トントン拍子で売れていったペギー葉山さん
1954年に「第5回NHK紅白歌合戦」に出場を果たしています。

その後の活躍もめざましく
995年には、紫綬褒章、2004年には旭日小褒章を受章しています。

ペギー葉山さんは、亡くなる少し前まで歌に生きタレントとして
活躍。

その他、日本歌手協会の女性で初の会長に就任。

日本音楽会のため全力で走ってこられました。

根上淳さんとはどんな方

根上淳さんは、今で言えばイケメン男性。

とにかく男前でした。

ペギー葉山さんは、根上淳さんの大フアンでした。

ペギー葉山さんとは、1965年に結婚。
1968年に長男が誕生。

結婚後も夫婦で本を出版するなどして
おしどり夫婦として有名でした。

元々俳優になろうとは思っていなかった根上さんですが
1949年『母三人』で映画本格デビュー

その後、端正な顔立ちと男前
1950年には『二十歳前後』で主役に抜擢。

役に恵まれるうになっていき
1951年には、根上の出世作『牝犬』で注目され
大スターの仲間入りとなります。

しかし、大スターも病には勝てず
2005年に愛する妻ペギー葉山さんに
看取られて帰らぬ人になりました。

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