橋本忍の経歴や脚本作品!結婚した嫁や子供を調査!

どうも、レチェです!

訃報が入ってきました。

あの7人の侍などを手がけた脚本家の橋本忍さんが
7月19日に肺炎で亡くなられました。

100歳

大往生だと言いつつも
惜しい方を無くしたかなしものほうが多い。

橋本さんは、黒澤明監督の演出担当として
多くの有名は作品を作られています。

そこで今日は、橋本忍さんの経歴
脚本作品

結婚した嫁や子供について調べてみました。

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橋本忍のプロフィールや経歴!

橋本忍

名前:橋本忍(はしもと しのぶ)

生年月日:1918年4月18日

没年月日:2018年7月19日(100歳没)

出生地:日本・兵庫県神崎郡鶴居村(現神崎郡市川町鶴居)

死没地:日本・東京都世田谷区

国籍:日本

職業:脚本家・映画監督

配偶者:あり

著名な家族:息子:橋本慎吾 娘:橋本綾

wikipdiaより

経歴
家業が小料理で、父親は芝居好きでしたので
橋本忍少年はその影響を受ける。

大鉄教習所卒業後、国鉄に勤務。

1938年、応召。

鳥取連隊に入隊(階級は1等兵)するが、粟粒性結核で
永久服役が免除される。

療養所に入りその時隣りにいた兵士が読んでいた『日本映画』と
言う映画の本を読み、シナリオに興味を持ち。その兵士に日本で一番
偉い脚本家は誰かと訪ね、伊丹万作と知り。

脚本家を志します。

その後1942年療養所を退所、郷里を帰り執筆下シナリオ『山の兵隊』を
伊丹万作に送ります。

思いかけず伊丹から返信があり、それ以降姫路市の軍需会社に勤務しながら
伊丹の唯一の脚本家としての弟子として指導を受ける。

その後伊丹万作の死去の翌年の1周忌のおりに、伊丹婦人より佐伯清監督を
紹介される。

それ以降サラリーマンをしながら、芥川龍之介の短編小説『藪の中』を書く。

社用で上京した際佐伯に渡していた脚本が、黒澤明の手に渡り長編化するよう
言われ映画化が実現する。

橋本忍の脚本家としてのデビューは、1950年黒沢監督が演出した『羅生門』
です。

同作品は、ベネツィア国際映画祭でグランプリを受賞。

脚本家としての高い評価を受ける。

1951年に退社して、本格的な脚本家として活動します。

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橋本忍人気作品

羅生門 1950年8月26日公開

七人の侍 1954年4月26日公開

日本沈没 1973年12月29日公開

砂の器 1974年10月19日公開

八甲田山 1977年6月4日公開

八つ墓村 1977年10月29日公開

私は貝になりたい2008年11月22日公開

その他、圧倒的な人気作品として

「影の車」説得力のあるホラー作品

最高傑作と言われるのは『切腹』
同作品は、脚本の構成として手本とされています。
『切腹は』役宅に突然物乞いを装って現れた仲代達矢の
浪人としての本当の目的が徐々に明らかになっていく構成が
非常にスリリングで面白い作品です。

『幻の湖』全くのノーマーク作品で、橋本忍も失敗だと言っていた
みたいだが、橋本忍さん意外なコメディとして人気作品です。

その他白い巨塔、今でも平成ドラマ版として井上由美子さん脚本
デドラ課されています。

橋本忍さんが天才であったか
エピソードとして、脚本構成の組み立て方として紙を三つ折りにして開いたら八つの枠ができます。

そこにいわゆる大バコ、ストーリーの流れを八つの大まかなシークエンスに分けて決めます。

すると今度はその1/8をまた八つに割って、それを繰り返すうちに脚本が完成するらしいのです。

いかに天才脚本家であったかを示すエピソードとして語り継がれています。

橋本忍さんの主な人気作品を述べましたが。

今後追悼映画として、TVで放映されるでしょうね!

結婚している嫁や子供のついて

橋本忍さん、結婚されていて嫁さん子供さんが
二人います。

嫁さんについての情報はネット上を見てもありません。

しかし子供さんについては、それぞれ脚本家として活躍しています。

息子さんは橋本慎吾さん

娘さんは橋本綾さん

中でも橋本綾さんの『吉原炎上』は有名です。

子供さんも、それそれ脚本家として今後も活躍される
ことを期待します。

脚本家橋本忍さんも、きっとそのことを望んでおられることでしょう。

子供さんの活躍を見守って上げてくだし。

安らかにお眠りください。

ご冥福をお祈りします。

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